本題に入る前に、随分ご無沙汰の更新になってしまいました。頭の片隅にはブログの更新のことが頭にあったのですが、それ以上に「やらなければならないこと」、その「やるべきことのために考えないといけないこと」に追われていました。普段から「仕事は準備が8割」としていますが、自分の脳のCPU稼働率はかなり高かったですね。内部メモリも溢れフェッチしまくりでした。流行に乗っかってコロナにも罹患してしまったし。。
自分ひとりで完結するような事であれば、さっさと終わらせられるのですが、今やそういうワーカー的作業はほとんど無いので、限られた時間の中で色々考え、時には俯瞰で状況を整理したり、そういう事に時間が取られてブログの優先順位がズルズルと下がっていって今に至ります。 ビジネス系のメルマガも購読していますが、毎週かかさず投稿しているビジネスパーソンは本当凄いと思います。多分ネタをストックしているんでしょうけど。
閑話休題。
さて本題です。昨今報道されている某中古車販売店についてです。別にいまさら社会正義を振りかざして同社を叩くとかそんな周回遅れの話ではなく、「どうしてそうなっていってしまったんだろう」という部分は報道開始当初から気になっていました。
報道から見えて来ているのは、創業者がそれまで培ってきた社風の元に2代目となる副社長の暴走が相まって、かつ副社長が創業者の子息が故に誰にも止められなかった。そんな感じです。
2代目が経営に入る前までも問題はあったのでしょうが、元社員の話からすれば厳しさはあっても温情もあったようなのでそこまで居心地は悪くなかったようですね。現場で不正のリスクを犯してまで業績を上げる動機は無かったのだと思います。現に私自身も同社に車を売却した事がありますが報道にあるような問題は全く無かったです。(ギリギリ創業者体制の時期です)
じゃあ、元凶は2代目でそれをささえる背景(創業者の子息・オーナー企業・金融会社との利害の一致・同業者によるグレーゾーンのビジネスの横行)だけのせいだったのか。ずっとそこが気になっていました。
報道によると内部通報制度が機能していなかったというものもあり、確かにそれも要因ではあるものの、そもそも内部通報体制があってもまともに機能させることは出来なかったようにも思います。
本質はどこだろう?とモヤモヤしていたところ、今朝のこの記事を読んで結構しっくりきました。創業者は稲盛さんの経営手法を(ほぼそのまま)経営計画に取り入れていたようです。朝礼で企業理念や経営方針を唱和したり、アメーバ経営の一部も取り入れていたようです。
でもその結果は報道のとおり。なぜこうなってしまったのか。元記事(会員登録要)の後半では稲盛氏の経営の中心には「倫理」「利他」があり、そこが同社には欠落していたと。
「敬天愛人」は稲盛氏の経営の根っこにあるものです。元は西郷隆盛の「天を敬い人を愛する」という言葉らしいです。「人には愛情を注ぐ。けれども判断をする時は、天がOKを出してくれる、天が喜んでくれる判断をせよ」と。まさに今回の経営に欠落していた部分です。
稲盛氏の経営哲学では「誰も見ていなくてもお天道様が見ている」という昔から日本に伝わる教えに基づいて、「リーダーたるもの周囲に安易に迎合するのではなく、お天道様が喜ぶ判断をせよ。そうすることで長期的に会社は発展していく」と。なるほどと思える言葉ですし、トップがそう言っているならと腹をくくれる言葉でもありますね。よくある近視眼的な経営とは真逆のスタンスです。(近視眼的が全部ダメとは思いません。創業期とかは資金に余裕が無いので致し方ないと思います。そこから何かに理由付けてずっと近視眼的経営に突っ走るのは問題のある経営だと思いますけどね)
ちなみに私は盛和塾生でも無いですし、同氏の書籍の熱心な読者というわけでもありません。書評を読んだり、書店でナナメ読みする程度です。
今回の件は多くの経営者やそれを支える幹部層は考えさせられることが多いのでは。不正はともかく、組織が機能不全になっていったとき、経営に倫理感が薄れていき、利己が中心になってしまった場合、組織は社会性を失っていきます。悪いと分かっていてもバレなければ良いとなり、誰も止められない。社員はもちろん、幹部であっても実質的経営権を持たない人間では「組織に染まるか」「組織を辞めるか(or実質辞めさせられるか)」の2択を迫られてしまいます。
オーナー企業や(実質的)オーナー企業が陥ってしまいがちな組織体制のほんのわずかなスキマに最初はちょっとした私情が入りこみ、時間とともに経営の中心に向かって私情が食い込んでいく、しかもその私情は釣り針のように返しがあるので抜けず深く刺さっていくのみ。多くの中小企業の実態はそのリスクを抱えた経営になっているのではないのでしょうか。
今回の事件で多くの会社組織が良い方向に向かっていけば良いのですが。
最後に、渋沢栄一や二宮尊徳の名言も引用したいと思います。
「論語と算盤(そろばん)」渋沢栄一
天が示す正しくて道理のあること(=論語)と、企業が利潤を求めて活動すること(=算盤)は一致する。 正しいことを行っていれば利潤は後から付いてくる。
「道徳なき経済は罪悪であり、経済なき道徳は寝言である」二宮尊徳
前半は今回の事件そのもの。後半は現実を見ないと理想は絵空事となってしまうというリアリズムに向き合う必要性を説いています。
ちょっと長くなりすぎたので今回の事件に対する考察はこのくらいに留めておきます。。
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