タイトルは怖い話ではありません。成長の話(階段)です。
よく成長の道のりを階段とか坂とか壁とか山に例えますが、実際そのとおりだなと最近つくづく思います。もちろんずっと上りの階段や坂や壁ばかりでは倒れてしまいますが、平坦な道や下りがずっと続くのも成長につながりにくいなと。
結局メリハリが大事で、山を超えたら平坦な道とか下り坂があるといいみたいな。。サイクリングしている人はそういう感じはわかるのかも。坂を超えたご褒美で下り坂が来るというような感じ。インターバルがあるから挑戦できるのかなと。
もう一つ要素があって、きちんと坂なり階段や壁に向き合って乗り越えられると、違った坂や壁が出てくるのに対し、うまく対処できなかった時は同じような壁や坂が現れるような気がします。またこの状態かよ、、みたいな。ほか例えるなら追試。
いっつも同じような事でつまずいているなら、対応を変えてみると良いかもしれません。これは仕事以外のコトでもそうかもしれません。
成長は言わば螺旋階段を上がっていくような感じで、同じような壁でも成長していれば一段上の段階の課題がやってくるように思います。
そうでないとゲームのようにステージをクリアできず延々同じステージをループするような感じになって、つらくなったり、モチベーションも下がってしまうのではないでしょうか。コンティニューする気力もだんだん無くなってきますよね。
どこかで自分の行動を変化させないとステージが変わっていきません。中々行動を変えられないときは、ものごとの見方(視点)を変えることで行動にも変化が出てきやすくなります。
よく、その人に合った試練が来くるから乗り越えられない壁はないとかよく聞きますが、大抵のことはそうだと思います。最近ネット記事で「壁ではなく、階段だけど段差が高い段が来ているだけ」というのを読んで、ああ・・そうかもねとも感じました。次の段差がくるまでにサボってしまうとそうなりがち。。
もちろん例外的なこともありますが、自分のケースで振り返ると、自分だけで何とかしようとして苦しんでいたことが多かったです。問題かかえたまま動けなくなって結果ドツボにはまって、過ぎ去ったかと思ったら、また同じような状態になる・・・。
年齢を経て、相談したり、場合によっては頼ったりすることが出来るようになってからは、沼にハマらず案外すんなり済んでいくことが増えました。目の前のことを必要以上に怖がったり、慌ててしまっていた自分に気づき、冷静に対処できるようになったことで「幽霊の正体見たり、枯れ尾花」が体感できたのかなと。
人に相談したり、ときには人に頼るというスキルも成長には必要だと思います。もちろん頼りっぱなしでは助けてもらえなくなるので、日々助け合いの気持ちを持って行動することは大前提ですけどね。
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