前置き
中部支社が出来るまでの経緯を振り返っていくコンテンツです。2017年11月から中部支社が生まれる2023年4月までの5年4ヶ月の出来事を当時の思いを含め回顧していきます。
はじまりのはじまり
一通のオファー
2017年11月初旬、その年の秋は割と暖かかった気がします。最初のきっかけはスマホに転職アプリの通知が来たことから。受信場所は何とハローワーク。後に上司となる役員のオファーから全ては始まりました。
当時の私はIT業界から離れようと専業主夫となり、二つの資格取得の勉強に明け暮れ、一つは断念したものの、もう一つは合格の目途も立ったので、そっちの業界に行こうと就活を始めていたところでした。なおハローワークには給付金もらうための手続きに行ってました。
そっちの業界を目指したのは絶対無くならない業界かつ、高額取引もあり、もとより色んな物件やモデルハウスを見ることが好きだったから、あとITスキルを活かせると思ったから、、まあそんなところでした。
話をオファーに戻します。
オファーはIT企業の役員の方が、自分が管理している大阪の拠点に続き、名古屋にも拠点設立を計画しているので話を聞いて欲しい。大体そんな感じの内容だったハズ。
その時自分は、光栄な気持ちはあったものの、IT業界はやり切った感(大手も、ベンチャーも起業も経験、業務的にも開発~営業~経営まで)があり、正直なところ、そこまで乗り気ではありませんでした。(起業は失敗したし)
とはいえ話だけは聞いてみようと、内容を見返してみたところ、ん?珍しい名前だな、、いやいやどう見たって外国人というか中国の人でしょ。でも文章はしっかりしていて、詐欺メールのような変な日本語では無い・・・。
そもそも会話できるのか、、。サイチェン・ニイハオ・ウォーアイニーくらいしか知らないけど。あと知ってる言葉を絞り出してもイーガーコーテル(違)。
いろいろ戸惑いはあったものの、数日後、納谷橋付近のビジネスホテルのロビーで待ち合わせしました。
今の上司との出会い
いざ対面して挨拶など一言二言会話して驚いたのは日本語力。ネイティブに近い発音と日本人より正しい語彙力を持っており、コミュニケーションの不安は一瞬で一掃されました。
見た目は、、良く言えば金融系やり手営業、悪く言えばインテリなんとかみたいな・・。
最初のきっかけは新幹線で自宅に戻る際、名古屋駅を見て何かできないかなと思ったからだそうです。言葉も日本の高専に留学してから学んだと言っていました。愛知県にも縁があり、高専卒業後に編入した大学は豊橋とのこと。
会話の流れも是非入社を!という感じでは無く、中部のIT業界がどんな感じなのかとか、どうやったらうまく立上げられるのかアイデアあれば聞きたい、、そんな感じでした。
私も自分の経歴と知ってる限り中部地区の業界情報、もし自分が立ち上げるとしたらこうしていく、、みたいなフワッとした話をした記憶があります。
最後は「じゃあSさんがやるとしたらの事業計画を作ってもらえませんか」という話になり、私が承諾した感じです。
そもそも計画とかワクワクする話が好きというのもありましたし、、、事業計画は起業した際に、融資を受けるために作った経験があるので安請け合いしてしまいました。
近くの喫茶店で2時間くらい会話したでしょうか、15時ごろに会って店を出たら真っ暗になっていました。
そして帰宅、予定より遅くなったので嫁とファミレスで食事しながら、面白い人に会って来たよと報告。
(つづく)→つづき